庄内ボーイズ・活動日誌

山形県庄内地域で活動する野球チーム『庄内ボーイズ』の活動内容です

ツービート

     ツービート

  

 ツービートは1972年(昭和47年)結成、浅草デビューを果たす。

私が浅草演芸ホールで観たのは1974頃だった。浅草演芸ホールは収容人数が300人程だったと思うが当時観客は30人もいなかった。漫談、ものまね、落語など数々の演芸が催されていた。

 前座であるツービートの出番は早かった。ビートきよしビートたけしの二人の漫才はたけしが田舎育ちのきよし(山形県最上町)を徹底的にいびるものであった。きよしと同郷の私は大うけ、さらにたけしは舞台から私を毒づいてきたではないか。

 「この二人は売れる!」

 ツービートの舞台が終わった。暫くして私はトイレに行く為に席を立った。すると客席最後方にある手すりに手をかけた今まで目の前の華やかな舞台にいた、たけしの姿があった。私は先輩芸人に向けられた、たけしの真剣なまなざしに畏怖の念を覚えた。

 「この人はすごいぞ!!」

 この頃は全く評価されなかった二人だが広島岡山漫才のB&Bに触発されたこと、さらに図々しい田舎者や権力をかさに着た人間を徹底的にこき下ろす師匠深見仙三郎の芸風を採り入れ融合、自らの芸風を作り上げることになる。

 ビートたけしという人間の下積み時代の軌跡の一端に触れたことはその後の私の人生に影響を与えた。学ぶ力、真似る力、整理する力の大切さを教えられた。

 人間の持つ「味」は年齢を重ねるだけで出るものではないだろう。多くの経験、その中でも失敗により深みを増す気がする。時におごることもある。過激な表現に頼ることもある。しかしそれとて人間だから出来たことではないか。

 私はファンでも何でもないが、あの演芸場での出来事を時々思い出すことがある。それは自分が辛くなった時が多い。もう少し頑張って時の経つのを待つことにしよう、と思い直す。

アデレードから庄内ボーイズの皆さんへ

             アデレードから庄内ボーイズの皆さんへ

 

 オーストラリア・サウスオーストラリア州アデレード在住の渡辺さゆりさんから、次のようなメールが届きました。一部抜粋してお届けします。

 

 コロナで2020年の予定は全てキャンセルで、今現在も「いつ日本に行けるのか」全くわからない状況です。それでもオーストラリアは世界でも珍しいほどに感染者が少なく、今も普段通りにマスクもせずに生活できています。ありがたいことです。

 ついひと月前には全豪オープンの選手隔離対策のおこぼれで、ここアデレード全豪オープンメルボルンで開催)で大坂ナオミとセリーナウィリアムスの練習試合が開催されました。私の好きなジョコビッチも来ました。

 大勢の人が大行列を作って試合を見に行き、ここはコロナの世界とはかけ離れた場所なんだなぁ、と実感しました。私も手作りの日の丸プラカードをかかげて応援してきましたよ。

 オーストラリアでは海外への旅行が一切禁じられています。極端な話しだと海外に住む親の死に目にも会えない状況です。そういった切羽詰まった状況でも政府は渡航の許可を与えないのです。いったんその国を出てしまうと当分戻れないような状態になってしまうので、今が一番の踏ん張りどころでしょうか。

 

 在豪13年にもなりますが、私の英語力の成長のなさは人を驚かせるほどです。年をとってからの吸収力は若者とは雲泥の差ですね。

 庄内ボーイズの生徒さんも若い時から「英会話」に親しんでいくチャンスがあるということは本当にラッキーなことだと思います。

 将来は世界で活躍してくれるような大人になって欲しいですね!私も期待していますよ!!

                              さゆり

 

渡邊 さゆり(旧姓:斎藤):藤島町出身。オーストラリア、サウスオーストラリア州アデレード在住。高校時代は野球部のマネージャーとして活躍。また在学中、鶴岡東ロータリーの交換留学生としてクイーンズランド州マッカイに留学。

永遠のドン・サットン投手

     永遠のドン・サットン投手

 

 吉田式ピッチングマシンのデモンストレーションの為にフロリダ州・ベロビーチにあるドジャースタウンに行った時のことである。 

 何面かあるグランドの一角にマシンをセットした。そこにドジャース投手陣がバント練習のために次々と現れた。「Dodgers Blue」のユニフォームが眩しい。

 限られた時間の中での練習。一球たりとも無駄な動きのない、妙に緊張感のあるバント練習が続いた。メジャー入りを目指し激しい競争にさらされている選手達の動き、血走った眼はそんなバント練習にも現れていた。

 最後は「20番」ドン・サットン投手である。私の目は一挙手一投足に釘付けとなる。右打席で、次に左打席で・・・。左右どちらの打席でも遜色なく一球一球丁寧に一塁側、三塁側へとボールを転がしていく。まるでバットにボールが吸い込まれていくようなその感覚は他の選手とは別次元であった。

 おっと、ボールを拾わなければいけない。

 次の練習に向かうために慌ただしい選手達であったがほとんどの選手が私と一緒にボール拾いを手伝ってくれた。この予期せぬ行動?に私は驚き喜んだ。同時に彼らは「Thanks!」を決して忘れることはなかった。

 余裕か貫禄か、いや優しさか、サットン投手は最後の一球まで地面に手を伸ばし、ボール拾いを一緒に手伝ってくれた。そればかりか「Thank you very much」と結んだからたまらない。   

 その後タウン内で私を見つけると肩を組んで一緒に写真を撮ってくれた。日本人とさほど変わらない体型、ゆっくりした美しいフォームから投げ込まれる豪速球は大いに参考にしたい。

 大リーグ通算324勝、17年連続2桁勝利、歴代7位の奪三振はその人間性と共に賞賛に値する。

 

 あの日から33年、2021年1月19日、ドン・サットン投手は75歳の生涯を閉じた。

満面の笑顔のサットン投手とひきつった私の笑顔のあの時の1葉の写真を眺め、スーパースターの余韻に浸ろうと思う。

                               By 佐藤 繁信

賛助会員のお知らせ

庄内ボーイズでは、会運営のために賛助会員・企業を募集しています。

ご協力お願いいたします。

一般の方 1口3,000円 企業・団体の方 1口5,000円 

                (口数の制限はありません。)

ご協力いただけるようでしたら、佐藤繁信 電話 080-1677-2948

まで連絡お願いいたします。

 

令和6年度賛助金をいただいた皆さん

【個人】

若生 悠(鶴岡市)様 

大場 幸治(酒田市)様

楠田 義満(横須賀市)様

 

令和5年度賛助金をいただいた皆さん

個人

神尾勇弥(鶴岡市)様

須藤秀明(鶴岡市)様

須田治彦(酒田市)様

奥山健人(ドイツ在住)様

楠田義満(横須賀市)様

大場幸治(酒田市) 様

川俣正治(酒田市)様

 

 

令和4年度賛助金をいただいた皆さん

 

【個 人】

 岡部博之(鶴岡市)様

 間秀行(鶴岡市)様

   若生 悠(鶴岡市)様

   三浦 拓(鶴岡市)様

   斎藤雄一(鶴岡市)様

   上林 誠(鶴岡市)様

   栗田淳平(鶴岡市)様

 佐藤宜男(鶴岡市)様

   小林雅人(鶴岡市)様

   加藤 政志(鶴岡市)様

   菅原一馬(鶴岡市)様

   長谷川 賢(鶴岡市)様

 伊藤秀晟(鶴岡市)様

 野尻耕平(鶴岡市)様

 今野大介(鶴岡市)様 

 樋口雄大(酒田市)様

   須田治彦(酒田市) 様

 楠田義満(横須賀市)様

    山田修一(習志野市)様

 日向野芳江様

 若生 悠(鶴岡市)様

   佐藤  洋一(鶴岡市)様

 鈴木 良(鶴岡市・湯の浜プロパン)様

 大場 幸治(酒田市)様

【企業】

   協栄システム(酒田市)様

    (株)ミドリプラン(鶴岡市)様

    神尾青果(鶴岡市)様

   ロッキーズ(軟式野球酒田市)様

 川俣左官酒田市)様

   庄内まいふぁーむ(鶴岡市)様

 堀商会 (酒田市)様

    (株)ホリコーポレーション 堀 直之様
令和3年度賛助いただいた皆さん
【個 人】
 斎藤 聡  (鶴岡市) 様
 齋藤 方良(船橋市)様
 佐藤 拓哉(鶴岡市)様 
 長谷川 賢(鶴岡市)様

 須藤 秀明(温海町)様

 大場 幸治(酒田市)様

 山田 修一(習志野市)様

 須田 治彦(酒田市)様

   楠田 義満(横須賀市)様

  原田 敏宏(三川町)様

  原田 ちあき(三川町)様

  神尾 幸(鶴岡市)様

  神尾 文子(鶴岡市)様

  伊藤 亨(鶴岡市)様

  佐藤 国広(鶴岡市)様

  今野 大介(鶴岡市)様

  佐藤 宜男(鶴岡市)様

  野尻 耕平(鶴岡市)様

  菅原 純(鶴岡市)様

  栗田 淳平(鶴岡市)様

  菅原 望(鶴岡市)様

  菅原 史任(鶴岡市)様

  伊藤 秀晟(鶴岡市)様

  三浦 拓(鶴岡市)様

  上林 誠(鶴岡市)様

  小林 雅人(鶴岡市)様

  加藤 政志

  樋口 雄大酒田市)様

  前田 徳一(鶴岡市)様

  前田 百合(鶴岡市)様

  前田 玲香(鶴岡市)様

  豊田 正(鶴岡市)様

 

【企業】

   チェンジ(上野看板・鶴岡市)様

 ()ムラヤマ 様

 川俣左官 様

  株式会社 ミドリプラン 様

  神尾青果様

  カイトウデンキ様

  JA鶴岡南支所様

  有限会社大山ボデー様

 

令和2年度賛助いただいた皆さん

個 人

須藤 秀明 様

森 敬(鶴岡市)様

佐藤 健二(酒田市)様

土門 亮(伊勢崎市)様

齋藤 真由美(鶴岡市)様

佐藤 大(鶴岡市) 様

今野 優 (鶴岡市)様

若生 悠 (鶴岡市)様

五十嵐裕治(鶴岡市)様

樋口 雄大酒田市)様

三浦 拓 (鶴岡市)様

小林 雅人(鶴岡市)様

上林 誠 (鶴岡市)様

川俣 正治酒田市)様

前田 徳一(鶴岡市)

前田 百合(鶴岡市)様

神尾 幸(鶴岡市)様

神尾 文子(鶴岡市)様

齋藤 光弘(酒田市)様

豊田  正(鶴岡市)様

佐藤 良(酒田市)様 

鈴木 良(鶴岡市)様

大場 幸治 (酒田市)様   

須田 治彦 (酒田市)様 

 

 【企 業

川俣左官 様

()建築 沼澤 様

まるなか調剤薬局 様

株式会社 産直舞台屋 様

早磯ドライブイン

(有)TCF 様

鶴岡市農業協同組合 営農販売部 様 

神尾青果 様 

遠藤会計事務所(鶴岡市) 様   

くにちゃん農園(鶴岡市様   

庄内まいふぁーむ合同会社(鶴岡市) 様

東京シェルサービス株式会社 様  

株式会社 CLEAN L IFE  様 

焼肉 千山閣 様  

チェンジ 様   

株式会社ニートレックス 様

 

賛助いただいた皆様、ありがとうございます。

 

 

 

教えてください!!

   わかるように教えて下さい!!

 

 私の高校時代の担任は東大出身だったが、その担任の授業は生徒に教えるという熱意よりは、まるで自己陶酔のように思えた。生徒のレベルに問題があったことも事実であるが次第に生徒の両瞼はその距離を縮めることになる。「教える側の論理」だけが優先し、その授業は続いた。

 今、スライディングをしない選手が多い。

 ある日、二塁打を放った選手が棒立ち状態で二塁ベースに駆け込んだ。間一髪セーフとなったが、スライディングをしない走塁にベンチからすかさず大声が飛んだ。

 「二塁ランナー交代!」

 交代を告げられた選手はスゴスゴとベンチの裏に引きさがり頭を抱え込んでしまった。話を聞いてみると今までにスライディングを一度も試みたことがないし、指導を受けたこともないと言う。

 スライディングは危険を伴う野球技術で、本来十分に指導してからグランドで実践すべきである。しかし普段の練習中に軽々とこなす選手もいることから、わざわざ時間を割いて練習する姿はほとんど見られない。

 中学生までスライディングを試みたことのない子どもがいる。恐怖を感じる子どもがいる。私は指導していないことを恥じた。

 今と昔の子どもの遊び方の違いを理解する必要がある。「俺たちは教わらなくてもそれくらいはできた」と自慢することはあまりにも無知な指導者である。

 あの授業で感じたように、自分は理解できていても、理解できていない子どももいる。 

 指導の焦点をどこに当てるか、どのレベルの子どもに合わせるか。プライベートレッスンとは異なり、永遠の課題である。

 

 教える側―教えられる側の論理は常に一体であるべきだ。

                               By 佐藤 繁信

カージナルズ来日

          カージナルス来日

 

 1968年(昭和43年)10月30日。当時中学2年生の私はカージナルス対巨人の試合観戦に宮城県営球場に行った。内外野共にほぼ満員、そんな光景など見たことがなかった私は興奮と熱気に圧倒された。

 この年、カージナルスワールドシリーズ最終第7戦で敗れはしたが、ほぼ休みなしでメンバー全員が来日した。対する巨人は1965年から4連覇中で当時は敵なしの日本最強軍団であった。

 カージナルスのエース、ボブ・ギブソン投手はこの年絶好調。12試合連続完投勝利を含め15連勝で22勝9敗、防御率は1.12でシーズンMVPに輝いている。

 この試合、なんと先発したのはそのギブソン投手であった。先発を知った球場は大興奮である。ゆっくりしたワインドアップモーションから投げ込まれる快速球、フィニッシュは一塁方向に大きく倒れ込む独特のフォームであった。このフォームを「フォールス・ダウン・スタイル」と表現していた記憶がある。今ネットなどで調べてもそのような記述は見当たらないが、私にとっては当時覚えた貴重な横文字だけにどうしてもここに記した。

 いよいよプレーボール。ギブソン投手の投じる一球一球にスタンドからは驚愕の声が挙がる。「オマハ超特急」(ネブラスカ州オマハ生まれ)といわれる快速球が心地よい音を立てキャッチャーミットに吸い込まれる。

 巨人の選手はやたらバットを短く持ち、当てるのに精一杯、ヒットになる様子は皆目見られなかった。その中で異彩を放ったのが王貞治選手であった。

 真っ向勝負を挑むギブソン投手に対しフルスイングで応じた唯一の選手であった。しかし、2球目あたりだろうか。快速球とフルスイングしたバットが微かに触れた。すると激しい摩擦が生じたのだろうか、白い煙がパッと上がった。球場に大きなどよめきが起こった。そして次の3球目、フルスイングした打球はバックネットを直撃した。そしてボールはそのままバックネットに突き刺さり、落ちてこない。衝撃的な場面であった。

 

 2020年10月2日、ボブ・ギブソン投手の訃報が届いた。84歳であった。

 悲しい知らせは、ギブソン投手が亡くなる一ヵ月前の9月6日にも届いていた。この時一緒に来日したルー・ブロック選手が81歳で亡くなっている。盗塁王に8度輝き、メジャー歴代2位の盗塁を記録したスーパースターである。この仙台の試合にも先発出場していた。ブロック選手の周囲だけがまるで映画のスクリーンを観ているように映ったことが忘れられない。

  私が目の当たりにしたメジャーリーガーのスーパースターが同時期に亡くなった。最も多感なこの時期に私が受けた衝撃を今の子供たちにも感じて欲しい。確かにTVやYouTubeによってメジャーリーグの試合を観る機会は格段に増えた。しかし、そこからはグランドの匂いや乾いたバットの音は聞こえてこない。華麗なあのメジャーリーガーの美しい立ち姿はそこにはない。二人のスーパースターとの邂逅に感謝し、ご冥福をお祈りする。

いいでんよ!

           いいでんよ!

 

 ブルペンの後方は4メートルほどの土手になっていた。その土手の上に会社帰りであろう熱心な高校野球ファンが数人見学している。その中に小柄ながら恰幅のいい、太い黒縁の大きめなメガネのオヤジさんがいた。ただ、ファンにしては鋭い眼光が異彩を放っていた。

 オヤジさんは高校野球の指導者として甲子園まであと一歩のチームを育て上げた。しかし、大会直前、ある事件に巻き込まれ、責任をとってチームを去った。そんな噂を少しだけ耳にした記憶がある。当時、オヤジさんは飲食店を経営し、仕入れの帰りに土手に立ち寄り、静かに応援していた。

 ストレート、変化球をアウトローにきっちり投げ込めば抑えることができる。それを信じ、一心不乱に投げ込んでいた。とその時「いいでんよ!いいでんよ!そのアウトコース打てんでん(・・)よ(・)」

 グランドに散らばった部員のムダで意味のない大声に周囲の言葉はかき消されたものの、オヤジさんの声だけはなぜか優しく耳に飛び込んでくる。

「いいでんよ〜!」

いつの頃からかオヤジさんは土手から降り、私のすぐ後ろで囁くようになった。

    「いいでんよ〜!!」

 どんなに疲れていても、多少の雨だろうが、その落ち着いた腹の底から発する低い声に励まされる毎日が続いた。

 余談であるが、ボールを受けながら聞いていたキャッチャーは「大したボールじゃないのになんでそんなに褒めんのかなぁ〜?」と訝しげな表情を浮かべていた。

 

 今までの人生の中でどんな時が嬉しかっただろうか。どんな時にやる気を起こしただろうか。それはやはり誉められた時であり、前向きな言葉をかけられた時である。人は誉められれば、半ば冗談と分かっていてもなぜか悪い気はしない。

 「子どもが伸びる声かけ」(辻秀一著)によると、人間の心の状態にはフローとノンフローがあるという。ご機嫌=フロー状態とは気分がよく、楽しく、充実感を得られている状態をいう。不機嫌=ノンフローとは落ち込んだり、イライラしたり、心が乱れている状態をいう。心の状態は声かけや出来事などによってフロー状態かノンフロー状態かに振り分けられるという。

 私は正にフロー状態で練習を続けていたのである。これはどんなに激しいトレーニングよりもパフォーマンスの向上に欠かせない重要な要素である。

今、指導にあたりこのことを忘れてはいけない。子ども達の体調はどうか。肩肘は痛くないか。心はノンフロー状態になっていないか。もしノンフロー状態を感じたらどんな声かけをしたらいいのだろうか。

 私は、練習開始前に指導陣を集めてこう話しかける。「我々がフロー状態じゃないと選手の心はフロー状態にならない。その結果、上達しないし、ケガをさせてしまうことになる」

 オヤジさんとは4代目ミスタータイガース掛布雅之氏(現HANSHIN  LEGEND  TELLER)の父泰治氏である。自らが手の届くところにあった甲子園の夢を息子雅之に賭けた執念があの言葉に凝縮されていたことを、その時私は知らなかった。

                   

                      24/Oct./2020   By 佐藤 繁信