庄内ボーイズ・活動日誌

山形県庄内地域で活動する野球チーム『庄内ボーイズ』の活動内容です

ピッチスマートに思う

   ピッチスマート

 

 先日少年野球を観戦した。イニングが終わると球場には「〇〇投手、先ほどの投球数20球、合計40球です」とアナウンスの声が響く。

 こうした日本の投球制限は2014年MLBメジャーリーグベースボール)が医師など専門家の意見を取り入れて提唱した「スマートピッチ」(硬式ボールを使用した場合のガイドライン)を参考にしていると思われる。

 世界的に見ても日本の小学生の肩・肘の故障(要因の一つは1年中野球漬けの毎日)は多いという。少年達の体を守るのは大人の責任である。一つの方向性として投球制限は正しいと思う。

 傍らで次の試合に備える両チームの練習が目に飛び込んできた。ノッカーが試合では見られないような鋭い打球を外野に飛ばしている。選手達は必死にそのボールを追い、返球している。

 しかし、グラブの使い方も然ることながら、投げる姿に愕然とした。顔をアッチ方向に向け体が開く選手、肘が極端に下がった選手、投げる腕が伸びたままの選手、手のひらでボールを押し出す選手等々。

 これは投球制限以前の問題ではないか!?

 アメリカの長いベースボールの歴史の中でなぜ今「投球制限」が必要になったか不思議に思う。近年になり少年達の肩・肘の故障が急激に増えたのだろうか。少年達の野球環境に何か変化が起きているのだろうか。

 以前、アメリカのベースボールの指導者は目先の勝利ではなく、将来を見据え、いかに有能な選手を輩出するかを目標にしてきたという。また少年たちはベースボール以外にバスケットボール、フットボールなどをシーズン毎にそれぞれバランスよく楽しんでいた。

 それが現在は全米各地の温暖な地で一年中色々な大会が催されるようになった。そこで勝利し、スカウトの目に留まることが最優先され、無理をする選手が多くなったという。 

 当然レベルの高いチームは試合数も多く、練習量も多くなる為、肩・肘の故障の発生率が高くなってしまう。

 大人の「マネー」の為に少年達の健康が犠牲になってしまったということか。

 しかしMLBはそうしたアメリカの少年野球を取り巻く環境変化を放置することなく迅速に対応した。それが「ピッチスマート」である。

 「投げ過ぎ」と「正しい投げ方」は並立して考えるべきではないか。前述のように正しいと思われる投げ方をしている少年は残念ながらほとんどいなかった。理にかなった投げ方により肩・肘へのストレスを軽減し、予防することは指導により十分可能であろう。

上腕三頭筋の向き ②背筋の収縮 ③後ろ脚の折れ ④ステップの仕方 ⑤前足の閉じなどのチェックを十分に行いたい。

 少年野球に遠投は本当に必要か。全力投球は必要か。100%の投球ではなく70%の投球強度で故障は防げるというデータ(「野球医学」の教科書:馬見塚尚孝著)がある。20M程の距離を素早く、しかも正確に投げる方法を模索したい。

 人生100年時代を迎えようとしている。10代での腕の故障は長い将来の健康を阻害することになる。元球児の合言葉「もう肩、上がらない」とどこか誇らしげ?に肩を回すしぐさはおかしいことに気がつきたい。公園で孫と楽しくキャッチボールが出来ることが理想であり、そうした姿こそが日本の野球人口減少の歯止めになると信じる。                        

                          2021.5.28 By佐藤 繁信

 *4年前に「THE  ARM(剛腕)」(ジェフ・パッサン著)という本に出会った。強い衝撃を受けた。その日からしばらく指導に対する自信を失ったことを思い出す。そして少年たちを手術台に送ってはいけないと誓った。

 

愚かさを知る  ―ダニング・クルーガー効果―

 

         愚かさを知る

              ―ダニング・クルーガー効果―

 ある酒屋に並んでいた大吟醸”ひとりよがり”に目を奪われた。目が奪われたというよりも心が奪われたのかもしれない。正にその時の私自身の生き方を現している言葉のように思われ、ハッと我に返った瞬間であった。

 あれから30年ほど経ったろうか。「ダニング・クルーガー効果」の図を目にし、「ひとりよがり」以来の強い衝撃を受けた。

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 ダニング=クルーガー効果とは、能力の低い人物が自らの容姿や発言・行動などについて、実際よりも高い評価を行ってしまう優越の錯覚を生み出す認知バイアス(精神の傾向。偏見。偏向)。この現象は、人間が自分自身の不適格性を認識することができないことによって生じる。「優越の錯覚を生み出す認知バイアスは、能力の高い人物の場合は外部(=他人)に対する過小評価に起因している。一方で、能力の低い人物の場合は内部(=自身)に対する過大評価に起因している。」と述べている。

                         ―ウィキペディアよりー

 

「素人ほど大口をたたき、専門家ほど慎重な発言になる」ということである。

野球ファンは総評論家であり、それがまた野球の楽しみ方でもある。野球場やTVの前で薄っぺらい知識や持論をぶち上げながらの野球観戦は最高のストレス解消である。時に静かに話す専門家以上の勢いでまくしたてられるとそれが奥深い真実のようにも思えてしまう。

 日本のプロ野球を代表するバッター谷沢健一氏(元中日)と掛布雅之氏(元阪神)の対談の進行をした時である。二人の打撃論は止まる所を知らない。ある時は椅子から立ちあがり身振り手振りと白熱したものだった。聞いている私はその打撃論にただただ感心して聞き入るだけであった。球界を代表する二人のスラッガーの対談は正に「専門家」の域に達した議論である。命を懸けてバットを振り続けた人間にしか到達できない打撃の奥義がそこにはあった。

 

「上から叩け」「ゴロ転がせ」そこに理論は存在しない。いや少年野球に理論は無用とばかり連呼する。

 しかし、野球を指導する上で正しい知識・理論はやはり必要だろう。「胸に投げろ」が野球の基本だろうか?案外わからないことが多い。

 

 「自分は知識があり、他人より優れているという錯覚」をしてはいないか?根拠のない自信はどこからくるのだろう。そっと胸に手を当ててみることにしよう。指導者はダニング・クルーガー効果に陥らないためにどうすればいいのか。

 指導者の学びへの謙虚さと選手へのリスペクトを忘れてはいけない。

 

                          2021.5.5  By佐藤 繫信

 

奪え、ポジション! ―数値化―

 

                奪え、ポジション!     ―数値化―

 

  選手は一生懸命に練習に取り組んでいる。みんなを試合に出してやりたい。だが公式戦を控えポジションを決めなくてはいけない。そんな中、どうしても決めきれないポジションがある。

  さてどうしよう?

 みんなが納得する方法はないものか。そんな時一つの方法論として浮かんだのが数値化である。

 最初に「このポジションをやってみたい人」と挙手をとった。5人が立候補してくれた。  

  コーチの打つノッカーの打球音から野手のグラブに納まる音までの時間をストップウォッチで測定することにした。ノッカーの打球速度や方向による誤差は回数の平均で補うことにする。送球の正確性は複数の指導者が4段階(エラーをゼロとする)で評価した。

 「さぁ、いくぞ!」

 ノックの順番は決めていない。最初にノックを受けた選手に心意気として10点をやりたいところだ。

 一日目は

①正面のゴロ捕球から一塁送球

ダブルプレーは捕球からセカンドまでの送球 

③前進バックホームは捕球から捕手への送球。それぞれのタイムを複数回測定した。

 二日目は

①正面のゴロ捕球から一塁送球 

ダブルプレーは昨日とは逆に2塁ベース上で送球を受け、一塁送球 

バックホームはランナー1・3塁をカットプレーで本塁送球とし、それぞれのタイムを

    複数回測定した

 

  【課題と考察】(羅列)

 

①明らかなイレギュラーは再度ノックした

②エラーの扱いは課題である。全体にエラーを恐れるあまり慎重なグラブさばきが見ら

   れた(正面のゴロ送球は4秒3以内の基準はもうけたが)

③思い切って勝負をかけたプレーの評価をどうするか

④緊張感があり、選手にとってはいい経験となった

⑤それぞれのプレーの選手の得手不得手を再確認できた

⑥挑戦したすべての選手を評価したい

⑦3年で挑戦した選手を特に評価したい(ノックも一番で受けていた)

⑧日頃の練習より打球の処理が素直だったり、動作の柔らかさが見られたり、新鮮であ

    った

⑨最終的にはバッティングを加味し、総合評価とする

⑩数値―平均化は選手を評価する一助になる

⑪全体への説明でも納得する様子が伺えた

 なんでも数値化することを嫌う人もいる。実は私もその一人かも知れない。そう思いながらも「数値は嘘をつかない」事も自覚しなければいけない。

 これからも数値とうまく付き合っていきたいと思う。人間らしく。

                                                                          2021.4.30  By佐藤 繁信

 バットを持てる幸せ

                 バットを持てる幸せ

 

   今日は練習日、朝ごはんをたらふく食べて出掛けよう。空は小雨模様、何とか午前中だけでも持ってくれないだろうか。雪もすっかり消え、選手達のグランドを走り回る姿が目に浮かぶ。

 いつものように新聞に目を通す。

エチオピア やまぬ殺戮」―夫は撃たれた。私と娘の目の前で―(4/5朝日新聞朝刊)見出しと共にその現場の写真が生々しく掲載されている。胸を引き裂かれるような感情が走る。

 世界ではミャンマーの国軍と警察治安部隊が一般市民を殺害、若者が未来を奪われることへの憤りから闘っている。今世紀最悪の人道危機と言われるシリア内戦では従順で洗脳しやすい多くの子ども達が「兵士」として闘っている。問題解決の糸口は見えない。

 「殺戮(さつりく)」とは多くの人をむごたらしく殺すこと。こんなことが世界各地で現実として起こっている。

 「野球などで楽しんでいていいのか!?」の疑念が頭をよぎる。

 グランドに到着。

 さぁ~、元気出して選手達と一緒に野球を楽しもう。

 

 この日の夕方、オリンピック代表選考を兼ねた水泳の日本選手権が行われた。女子100Mバタフライで池江璃花子選手が白血病から僅か2年で奇跡の復活優勝を遂げた。「凄い!」の言葉以外見つからない。誰もが感動・勇気をもらった。池江選手の諦めない心、努力する心、そして勝負への執念はどこから生まれてくるのだろうか。

 スポーツの持つ素晴らしい力を再認識した。

 

 世界中の至るところで血の連鎖が続く。人間は無限の知恵や可能性を秘めているはずなのにどこへ行ってしまったのだろう。

 せめて世界中の子ども達が銃ではなくバットを持てる日が来ることを願う。

                           

                           2021.4.6  By佐藤 繁信

改めて野球は楽しい

         改めて 野球は 楽しい

         

          ―連敗中にもかかわらずー

 

 今度こそはと臨んだ試合であったが勝たせてもらえなかった。連敗は続いている、というよりもこのチームになって、なかなか勝利に結びつかない。

 試合の数日後、野球ノートを提出してくれる選手がいる。打撃成績や投球内容、その時々に感じたことが細かく書かれてある。最後にチームの総評へと続く。

途中こんな文章があった。「試合に負けたのは変わりないけど、課題と成長を感じられる試合だったと感じた。」

 そして最後に

 「改めて野球は楽しいと思った」で締めくくられていた。

 素晴らしい言葉に出会うことができた。 「マッテマシタ!」

 ある選手は「全体的に声を出して、みんなで盛り上げて試合が出来るようになったことが一番の成長だと思います。ランナーが出てもあわてず、次何をしたらアウトを取れるかなど、声をかけ合うことができた」

 中学生が試合を冷静に分析することはなかなか難しい。まして負けた試合で野球の楽しさを再認識することなどあまり聞いたことがない。負けが込んで、ともすれば選手がチームのあり方に疑心暗鬼を生じてもおかしくはない。にもかかわらず発せられたこの言葉の持つ意味は大きい。

 指導者と選手は対等であるといったチーム方針がその芽を出し始めたような気がする。春の息吹そのものである。

 東北に「庄内ボーイズ旋風」が吹き荒れる日は近い!・・・

                              By 佐藤 繁信  

ツービート

     ツービート

  

 ツービートは1972年(昭和47年)結成、浅草デビューを果たす。

私が浅草演芸ホールで観たのは1974頃だった。浅草演芸ホールは収容人数が300人程だったと思うが当時観客は30人もいなかった。漫談、ものまね、落語など数々の演芸が催されていた。

 前座であるツービートの出番は早かった。ビートきよしビートたけしの二人の漫才はたけしが田舎育ちのきよし(山形県最上町)を徹底的にいびるものであった。きよしと同郷の私は大うけ、さらにたけしは舞台から私を毒づいてきたではないか。

 「この二人は売れる!」

 ツービートの舞台が終わった。暫くして私はトイレに行く為に席を立った。すると客席最後方にある手すりに手をかけた今まで目の前の華やかな舞台にいた、たけしの姿があった。私は先輩芸人に向けられた、たけしの真剣なまなざしに畏怖の念を覚えた。

 「この人はすごいぞ!!」

 この頃は全く評価されなかった二人だが広島岡山漫才のB&Bに触発されたこと、さらに図々しい田舎者や権力をかさに着た人間を徹底的にこき下ろす師匠深見仙三郎の芸風を採り入れ融合、自らの芸風を作り上げることになる。

 ビートたけしという人間の下積み時代の軌跡の一端に触れたことはその後の私の人生に影響を与えた。学ぶ力、真似る力、整理する力の大切さを教えられた。

 人間の持つ「味」は年齢を重ねるだけで出るものではないだろう。多くの経験、その中でも失敗により深みを増す気がする。時におごることもある。過激な表現に頼ることもある。しかしそれとて人間だから出来たことではないか。

 私はファンでも何でもないが、あの演芸場での出来事を時々思い出すことがある。それは自分が辛くなった時が多い。もう少し頑張って時の経つのを待つことにしよう、と思い直す。

アデレードから庄内ボーイズの皆さんへ

             アデレードから庄内ボーイズの皆さんへ

 

 オーストラリア・サウスオーストラリア州アデレード在住の渡辺さゆりさんから、次のようなメールが届きました。一部抜粋してお届けします。

 

 コロナで2020年の予定は全てキャンセルで、今現在も「いつ日本に行けるのか」全くわからない状況です。それでもオーストラリアは世界でも珍しいほどに感染者が少なく、今も普段通りにマスクもせずに生活できています。ありがたいことです。

 ついひと月前には全豪オープンの選手隔離対策のおこぼれで、ここアデレード全豪オープンメルボルンで開催)で大坂ナオミとセリーナウィリアムスの練習試合が開催されました。私の好きなジョコビッチも来ました。

 大勢の人が大行列を作って試合を見に行き、ここはコロナの世界とはかけ離れた場所なんだなぁ、と実感しました。私も手作りの日の丸プラカードをかかげて応援してきましたよ。

 オーストラリアでは海外への旅行が一切禁じられています。極端な話しだと海外に住む親の死に目にも会えない状況です。そういった切羽詰まった状況でも政府は渡航の許可を与えないのです。いったんその国を出てしまうと当分戻れないような状態になってしまうので、今が一番の踏ん張りどころでしょうか。

 

 在豪13年にもなりますが、私の英語力の成長のなさは人を驚かせるほどです。年をとってからの吸収力は若者とは雲泥の差ですね。

 庄内ボーイズの生徒さんも若い時から「英会話」に親しんでいくチャンスがあるということは本当にラッキーなことだと思います。

 将来は世界で活躍してくれるような大人になって欲しいですね!私も期待していますよ!!

                              さゆり

 

渡邊 さゆり(旧姓:斎藤):藤島町出身。オーストラリア、サウスオーストラリア州アデレード在住。高校時代は野球部のマネージャーとして活躍。また在学中、鶴岡東ロータリーの交換留学生としてクイーンズランド州マッカイに留学。