庄内ボーイズ・活動日誌

山形県庄内地域で活動する野球チーム『庄内ボーイズ』の活動内容です

カージナルズ来日

          カージナルス来日

 

 1968年(昭和43年)10月30日。当時中学2年生の私はカージナルス対巨人の試合観戦に宮城県営球場に行った。内外野共にほぼ満員、そんな光景など見たことがなかった私は興奮と熱気に圧倒された。

 この年、カージナルスワールドシリーズ最終第7戦で敗れはしたが、ほぼ休みなしでメンバー全員が来日した。対する巨人は1965年から4連覇中で当時は敵なしの日本最強軍団であった。

 カージナルスのエース、ボブ・ギブソン投手はこの年絶好調。12試合連続完投勝利を含め15連勝で22勝9敗、防御率は1.12でシーズンMVPに輝いている。

 この試合、なんと先発したのはそのギブソン投手であった。先発を知った球場は大興奮である。ゆっくりしたワインドアップモーションから投げ込まれる快速球、フィニッシュは一塁方向に大きく倒れ込む独特のフォームであった。このフォームを「フォールス・ダウン・スタイル」と表現していた記憶がある。今ネットなどで調べてもそのような記述は見当たらないが、私にとっては当時覚えた貴重な横文字だけにどうしてもここに記した。

 いよいよプレーボール。ギブソン投手の投じる一球一球にスタンドからは驚愕の声が挙がる。「オマハ超特急」(ネブラスカ州オマハ生まれ)といわれる快速球が心地よい音を立てキャッチャーミットに吸い込まれる。

 巨人の選手はやたらバットを短く持ち、当てるのに精一杯、ヒットになる様子は皆目見られなかった。その中で異彩を放ったのが王貞治選手であった。

 真っ向勝負を挑むギブソン投手に対しフルスイングで応じた唯一の選手であった。しかし、2球目あたりだろうか。快速球とフルスイングしたバットが微かに触れた。すると激しい摩擦が生じたのだろうか、白い煙がパッと上がった。球場に大きなどよめきが起こった。そして次の3球目、フルスイングした打球はバックネットを直撃した。そしてボールはそのままバックネットに突き刺さり、落ちてこない。衝撃的な場面であった。

 

 2020年10月2日、ボブ・ギブソン投手の訃報が届いた。84歳であった。

 悲しい知らせは、ギブソン投手が亡くなる一ヵ月前の9月6日にも届いていた。この時一緒に来日したルー・ブロック選手が81歳で亡くなっている。盗塁王に8度輝き、メジャー歴代2位の盗塁を記録したスーパースターである。この仙台の試合にも先発出場していた。ブロック選手の周囲だけがまるで映画のスクリーンを観ているように映ったことが忘れられない。

  私が目の当たりにしたメジャーリーガーのスーパースターが同時期に亡くなった。最も多感なこの時期に私が受けた衝撃を今の子供たちにも感じて欲しい。確かにTVやYouTubeによってメジャーリーグの試合を観る機会は格段に増えた。しかし、そこからはグランドの匂いや乾いたバットの音は聞こえてこない。華麗なあのメジャーリーガーの美しい立ち姿はそこにはない。二人のスーパースターとの邂逅に感謝し、ご冥福をお祈りする。