坪田名人のアンパンミット
成東高校(千葉県)3年春に見た鈴木孝政投手のピッチングに強い衝撃を憶えた。全身バネのような軽やかなフォームの指先から離れたボールは今までに見たことのない特殊な球筋であった。そして物理に反する異次元のボールは心地よい音を立て捕手のミットに吸い込まれていくのだった。
その投球に魅了されていると次なる衝撃が脳裏を襲った。捕手のミットのポケットが下を向いているではないか。しかもそのミットは当時目にすることのなくなったアンパンミットであった。
「あんなのでよく捕れるなぁ〜」
ある日、ミズノのグラブの無償修理メンテナンス・ワークショップが来てくれた。このワークショップに「グラブ作りの名人」坪田信義さんが同行していた。こちらは少々緊張気味であったが実に気さくに接してくれた。グラブの作り方や歴史などの質問にも丁寧に応えてくれたことを思い出す。
この時、成東高校バッテリーの話をすると「アンパンミットか懐かしいなぁ。一つ作って送るよ」と坪田さんが一言。そしてこう付け加えた。
「あれは捕るのが難しいんだよ。選手に昔の選手の大変さを伝えてよ」
後日、「DIRECTED BY N.TSUBOTA」の刻印の押されたアンパンミットが私のもとに届いた。
私はそのミットを片手に中心のポケットでしっかり捕らないと捕球が困難であることを選手に話した。現在のキャッチャーミットと比較すると、よりグラブの進化の過程が見て取れる。それは捕球技術の変化・対応への理解にもつながる。
2022年4月3日、98年に労働省の「現代の名工」に選ばれ、2000年に黄綬褒章を受章した坪田信義氏が89歳で亡くなった。スポーツ新聞ばかりでなく一般紙までも大きくその死を悼み、松井選手やイチロー選手ら名プレーヤーのコメントを掲載した。
影響を受けたのは名プレーヤーばかりでなくこんな地方にもいる。
*成東高校はこの春(1972年)、春季関東地区高校野球大会で準優勝を果たしている。鈴木孝政投手はこの年、ドラフト1位で中日ドラゴンズに入団。最優秀救援投手賞を2回受賞するなど活躍した。