庄内ボーイズ・活動日誌

山形県庄内地域で活動する野球チーム『庄内ボーイズ』の活動内容です

背番号18

           背番号18

 

 8月29日(金)東京ドームで行われた第93回都市対抗野球大会横浜市ENEOSが二連覇を狙う東京ガスを5-4で降し、9年振り12回目の優勝を果たした。9回表に登板したENEOSのエース柏原史陽投手は5連投ながら最後の打者をショートゴロに打ち取り、決勝戦不敗神話は続いた。

 柏原投手の躍動感あふれる投球フォームは優勝投手にふさわしい美しさがあった。ただテレビで観戦した私にはそのユニフォームの背番号「18」が眩しく、灌漑深いものとして映った。

 

 私の部屋には背番号「18」の「NISSEKI」(ENEOSの前身)のユニフォームが飾られている。日本石油の投手として7年、マネージャーとして9年。そしてコーチとして…。神奈川県下では野球関係者から一目置かれたもっとも有名なマネージャーでもあった彼が着ていたユニフォームである。大久保秀昭監督の信頼も厚いと聞いていた。

 彼は突然の病でこの世を去った。46歳であった。

 私は彼の野球の技術はもとより人間性を高く評価していた。彼の訃報を聞いた時のショックは計り知れない。大きな心の財産を失った気がした。

 

 優勝の歓喜を爆発させる選手の姿が画面に大きく映しだされている。興奮冷めやらぬ選手、涙する選手もいる。ただそこに彼の姿、笑顔はなかった。いくら探してもあの輪の中のどこにもいなかった。

 こんなに嬉しくて悲しい優勝を今までに経験したことはない。

                             By佐藤 繁信

                             2022.7.30


                         

 

人生は思うに任せぬ

      人生は思うに任せぬ

 

 長年コツコツと集めた書籍が存在感を失いつつある。きちんと整理されたスクラップブックも色あせてきた。私以外には無用の長物であろう。それでも私にとっては自分史の重要な1ページである。そう簡単にこの領域を侵されてはなるまい。しかし、年齢を重ねた今、自分だけの問題ではなくなった。家族にとってはただのガラクタなのである。

 知人からこんなメールが届いた。「先日泣く泣く歴史本や小説を処分。古書店の査定はほぼ無価値!本がかわいそうでしたが・・。そのうち野球本も・・・と覚悟していますが切なくて!」

 博物館や図書館に寄贈などそれなりに行き先が決まればいいがほとんど廃棄の憂き目となる。

 その後「とうとう60年間ため込んだ高校野球スクラップ、雑誌を処分しました。諦めの心境でした。脱力感、寂寥感にやや落ち込んでいます。人生なかなか思うようにはいきませんね」

「人生なかなか思うに・・・」この時私の脳裏にある人物が浮かんだ。

 1980年代に9冊もの野球技術書を著し、それまでの野球界の謬見を改め、科学や物理を野球動作に取り入れた「科学する野球」の村上豊氏である。村上豊氏の理論をプロ野球界は勿論、野球経験のある指導者は全く受け入れようとしなかった。自分たちのやってきたことを真っ向から否定するその理論を素直に受け入れる勇気を持たなかった。受け入れたのは野球経験のない人たちで、その理論というより「道理」に賛同したのであろう。

 私は村上豊氏の切歯扼腕する日々を近くで見てきた。その時に放った言葉が今尚忘れられない。

 「私は億万長者になれるか!?」

 しかし、その言葉から一年足らずでこの世を去った。

 すると至るところでその理論を引用した文章を目にするようになった。人生の皮肉さを感じた。

 人は誰でも自分の生きてきた証を残したいと願うものだ。そしてその評価を期待するのも当然のことである。しかし人生は思うに任せぬようである。

楽しみを見出し、努力を惜しまず、他人に迷惑をかけず歩もうと思う。

                           By 佐藤 繁信

                              2022.7.12