庄内ボーイズ・活動日誌

山形県庄内地域で活動する野球チーム『庄内ボーイズ』の活動内容です

人生は思うに任せぬ

      人生は思うに任せぬ

 

 長年コツコツと集めた書籍が存在感を失いつつある。きちんと整理されたスクラップブックも色あせてきた。私以外には無用の長物であろう。それでも私にとっては自分史の重要な1ページである。そう簡単にこの領域を侵されてはなるまい。しかし、年齢を重ねた今、自分だけの問題ではなくなった。家族にとってはただのガラクタなのである。

 知人からこんなメールが届いた。「先日泣く泣く歴史本や小説を処分。古書店の査定はほぼ無価値!本がかわいそうでしたが・・。そのうち野球本も・・・と覚悟していますが切なくて!」

 博物館や図書館に寄贈などそれなりに行き先が決まればいいがほとんど廃棄の憂き目となる。

 その後「とうとう60年間ため込んだ高校野球スクラップ、雑誌を処分しました。諦めの心境でした。脱力感、寂寥感にやや落ち込んでいます。人生なかなか思うようにはいきませんね」

「人生なかなか思うに・・・」この時私の脳裏にある人物が浮かんだ。

 1980年代に9冊もの野球技術書を著し、それまでの野球界の謬見を改め、科学や物理を野球動作に取り入れた「科学する野球」の村上豊氏である。村上豊氏の理論をプロ野球界は勿論、野球経験のある指導者は全く受け入れようとしなかった。自分たちのやってきたことを真っ向から否定するその理論を素直に受け入れる勇気を持たなかった。受け入れたのは野球経験のない人たちで、その理論というより「道理」に賛同したのであろう。

 私は村上豊氏の切歯扼腕する日々を近くで見てきた。その時に放った言葉が今尚忘れられない。

 「私は億万長者になれるか!?」

 しかし、その言葉から一年足らずでこの世を去った。

 すると至るところでその理論を引用した文章を目にするようになった。人生の皮肉さを感じた。

 人は誰でも自分の生きてきた証を残したいと願うものだ。そしてその評価を期待するのも当然のことである。しかし人生は思うに任せぬようである。

楽しみを見出し、努力を惜しまず、他人に迷惑をかけず歩もうと思う。

                           By 佐藤 繁信

                              2022.7.12

坪田名人のアンパンミット

                           坪田名人のアンパンミット

 

 成東高校(千葉県)3年春に見た鈴木孝政投手のピッチングに強い衝撃を憶えた。全身バネのような軽やかなフォームの指先から離れたボールは今までに見たことのない特殊な球筋であった。そして物理に反する異次元のボールは心地よい音を立て捕手のミットに吸い込まれていくのだった。

 

 その投球に魅了されていると次なる衝撃が脳裏を襲った。捕手のミットのポケットが下を向いているではないか。しかもそのミットは当時目にすることのなくなったアンパンミットであった。

 「あんなのでよく捕れるなぁ〜」

 

 ある日、ミズノのグラブの無償修理メンテナンス・ワークショップが来てくれた。このワークショップに「グラブ作りの名人」坪田信義さんが同行していた。こちらは少々緊張気味であったが実に気さくに接してくれた。グラブの作り方や歴史などの質問にも丁寧に応えてくれたことを思い出す。

 

 この時、成東高校バッテリーの話をすると「アンパンミットか懐かしいなぁ。一つ作って送るよ」と坪田さんが一言。そしてこう付け加えた。

「あれは捕るのが難しいんだよ。選手に昔の選手の大変さを伝えてよ」

 後日、「DIRECTED  BY  N.TSUBOTA」の刻印の押されたアンパンミットが私のもとに届いた。

 

 私はそのミットを片手に中心のポケットでしっかり捕らないと捕球が困難であることを選手に話した。現在のキャッチャーミットと比較すると、よりグラブの進化の過程が見て取れる。それは捕球技術の変化・対応への理解にもつながる。

 

 2022年4月3日、98年に労働省の「現代の名工」に選ばれ、2000年に黄綬褒章を受章した坪田信義氏が89歳で亡くなった。スポーツ新聞ばかりでなく一般紙までも大きくその死を悼み、松井選手やイチロー選手ら名プレーヤーのコメントを掲載した。

 影響を受けたのは名プレーヤーばかりでなくこんな地方にもいる。

 

 *成東高校はこの春(1972年)、春季関東地区高校野球大会で準優勝を果たしている。鈴木孝政投手はこの年、ドラフト1位で中日ドラゴンズに入団。最優秀救援投手賞を2回受賞するなど活躍した。