庄内ボーイズ・活動日誌

山形県庄内地域で活動する野球チーム『庄内ボーイズ』の活動内容です

永遠のドン・サットン投手

     永遠のドン・サットン投手

 

 吉田式ピッチングマシンのデモンストレーションの為にフロリダ州・ベロビーチにあるドジャースタウンに行った時のことである。 

 何面かあるグランドの一角にマシンをセットした。そこにドジャース投手陣がバント練習のために次々と現れた。「Dodgers Blue」のユニフォームが眩しい。

 限られた時間の中での練習。一球たりとも無駄な動きのない、妙に緊張感のあるバント練習が続いた。メジャー入りを目指し激しい競争にさらされている選手達の動き、血走った眼はそんなバント練習にも現れていた。

 最後は「20番」ドン・サットン投手である。私の目は一挙手一投足に釘付けとなる。右打席で、次に左打席で・・・。左右どちらの打席でも遜色なく一球一球丁寧に一塁側、三塁側へとボールを転がしていく。まるでバットにボールが吸い込まれていくようなその感覚は他の選手とは別次元であった。

 おっと、ボールを拾わなければいけない。

 次の練習に向かうために慌ただしい選手達であったがほとんどの選手が私と一緒にボール拾いを手伝ってくれた。この予期せぬ行動?に私は驚き喜んだ。同時に彼らは「Thanks!」を決して忘れることはなかった。

 余裕か貫禄か、いや優しさか、サットン投手は最後の一球まで地面に手を伸ばし、ボール拾いを一緒に手伝ってくれた。そればかりか「Thank you very much」と結んだからたまらない。   

 その後タウン内で私を見つけると肩を組んで一緒に写真を撮ってくれた。日本人とさほど変わらない体型、ゆっくりした美しいフォームから投げ込まれる豪速球は大いに参考にしたい。

 大リーグ通算324勝、17年連続2桁勝利、歴代7位の奪三振はその人間性と共に賞賛に値する。

 

 あの日から33年、2021年1月19日、ドン・サットン投手は75歳の生涯を閉じた。

満面の笑顔のサットン投手とひきつった私の笑顔のあの時の1葉の写真を眺め、スーパースターの余韻に浸ろうと思う。

                               By 佐藤 繁信

賛助会員のお知らせ

庄内ボーイズでは、会運営のために賛助会員・企業を募集しています。

ご協力お願いいたします。

一般の方 1口3,000円 企業・団体の方 1口5,000円 

                (口数の制限はありません。)

ご協力いただけるようでしたら、佐藤繁信 電話 080-1677-2948

まで連絡お願いいたします。

 

令和6年度賛助金をいただいた皆さん

【個人】

若生 悠(鶴岡市)様 

大場 幸治(酒田市)様

楠田 義満(横須賀市)様

 

令和5年度賛助金をいただいた皆さん

個人

神尾勇弥(鶴岡市)様

須藤秀明(鶴岡市)様

須田治彦(酒田市)様

奥山健人(ドイツ在住)様

楠田義満(横須賀市)様

大場幸治(酒田市) 様

川俣正治(酒田市)様

 

 

令和4年度賛助金をいただいた皆さん

 

【個 人】

 岡部博之(鶴岡市)様

 間秀行(鶴岡市)様

   若生 悠(鶴岡市)様

   三浦 拓(鶴岡市)様

   斎藤雄一(鶴岡市)様

   上林 誠(鶴岡市)様

   栗田淳平(鶴岡市)様

 佐藤宜男(鶴岡市)様

   小林雅人(鶴岡市)様

   加藤 政志(鶴岡市)様

   菅原一馬(鶴岡市)様

   長谷川 賢(鶴岡市)様

 伊藤秀晟(鶴岡市)様

 野尻耕平(鶴岡市)様

 今野大介(鶴岡市)様 

 樋口雄大(酒田市)様

   須田治彦(酒田市) 様

 楠田義満(横須賀市)様

    山田修一(習志野市)様

 日向野芳江様

 若生 悠(鶴岡市)様

   佐藤  洋一(鶴岡市)様

 鈴木 良(鶴岡市・湯の浜プロパン)様

 大場 幸治(酒田市)様

【企業】

   協栄システム(酒田市)様

    (株)ミドリプラン(鶴岡市)様

    神尾青果(鶴岡市)様

   ロッキーズ(軟式野球酒田市)様

 川俣左官酒田市)様

   庄内まいふぁーむ(鶴岡市)様

 堀商会 (酒田市)様

    (株)ホリコーポレーション 堀 直之様
令和3年度賛助いただいた皆さん
【個 人】
 斎藤 聡  (鶴岡市) 様
 齋藤 方良(船橋市)様
 佐藤 拓哉(鶴岡市)様 
 長谷川 賢(鶴岡市)様

 須藤 秀明(温海町)様

 大場 幸治(酒田市)様

 山田 修一(習志野市)様

 須田 治彦(酒田市)様

   楠田 義満(横須賀市)様

  原田 敏宏(三川町)様

  原田 ちあき(三川町)様

  神尾 幸(鶴岡市)様

  神尾 文子(鶴岡市)様

  伊藤 亨(鶴岡市)様

  佐藤 国広(鶴岡市)様

  今野 大介(鶴岡市)様

  佐藤 宜男(鶴岡市)様

  野尻 耕平(鶴岡市)様

  菅原 純(鶴岡市)様

  栗田 淳平(鶴岡市)様

  菅原 望(鶴岡市)様

  菅原 史任(鶴岡市)様

  伊藤 秀晟(鶴岡市)様

  三浦 拓(鶴岡市)様

  上林 誠(鶴岡市)様

  小林 雅人(鶴岡市)様

  加藤 政志

  樋口 雄大酒田市)様

  前田 徳一(鶴岡市)様

  前田 百合(鶴岡市)様

  前田 玲香(鶴岡市)様

  豊田 正(鶴岡市)様

 

【企業】

   チェンジ(上野看板・鶴岡市)様

 ()ムラヤマ 様

 川俣左官 様

  株式会社 ミドリプラン 様

  神尾青果様

  カイトウデンキ様

  JA鶴岡南支所様

  有限会社大山ボデー様

 

令和2年度賛助いただいた皆さん

個 人

須藤 秀明 様

森 敬(鶴岡市)様

佐藤 健二(酒田市)様

土門 亮(伊勢崎市)様

齋藤 真由美(鶴岡市)様

佐藤 大(鶴岡市) 様

今野 優 (鶴岡市)様

若生 悠 (鶴岡市)様

五十嵐裕治(鶴岡市)様

樋口 雄大酒田市)様

三浦 拓 (鶴岡市)様

小林 雅人(鶴岡市)様

上林 誠 (鶴岡市)様

川俣 正治酒田市)様

前田 徳一(鶴岡市)

前田 百合(鶴岡市)様

神尾 幸(鶴岡市)様

神尾 文子(鶴岡市)様

齋藤 光弘(酒田市)様

豊田  正(鶴岡市)様

佐藤 良(酒田市)様 

鈴木 良(鶴岡市)様

大場 幸治 (酒田市)様   

須田 治彦 (酒田市)様 

 

 【企 業

川俣左官 様

()建築 沼澤 様

まるなか調剤薬局 様

株式会社 産直舞台屋 様

早磯ドライブイン

(有)TCF 様

鶴岡市農業協同組合 営農販売部 様 

神尾青果 様 

遠藤会計事務所(鶴岡市) 様   

くにちゃん農園(鶴岡市様   

庄内まいふぁーむ合同会社(鶴岡市) 様

東京シェルサービス株式会社 様  

株式会社 CLEAN L IFE  様 

焼肉 千山閣 様  

チェンジ 様   

株式会社ニートレックス 様

 

賛助いただいた皆様、ありがとうございます。

 

 

 

教えてください!!

   わかるように教えて下さい!!

 

 私の高校時代の担任は東大出身だったが、その担任の授業は生徒に教えるという熱意よりは、まるで自己陶酔のように思えた。生徒のレベルに問題があったことも事実であるが次第に生徒の両瞼はその距離を縮めることになる。「教える側の論理」だけが優先し、その授業は続いた。

 今、スライディングをしない選手が多い。

 ある日、二塁打を放った選手が棒立ち状態で二塁ベースに駆け込んだ。間一髪セーフとなったが、スライディングをしない走塁にベンチからすかさず大声が飛んだ。

 「二塁ランナー交代!」

 交代を告げられた選手はスゴスゴとベンチの裏に引きさがり頭を抱え込んでしまった。話を聞いてみると今までにスライディングを一度も試みたことがないし、指導を受けたこともないと言う。

 スライディングは危険を伴う野球技術で、本来十分に指導してからグランドで実践すべきである。しかし普段の練習中に軽々とこなす選手もいることから、わざわざ時間を割いて練習する姿はほとんど見られない。

 中学生までスライディングを試みたことのない子どもがいる。恐怖を感じる子どもがいる。私は指導していないことを恥じた。

 今と昔の子どもの遊び方の違いを理解する必要がある。「俺たちは教わらなくてもそれくらいはできた」と自慢することはあまりにも無知な指導者である。

 あの授業で感じたように、自分は理解できていても、理解できていない子どももいる。 

 指導の焦点をどこに当てるか、どのレベルの子どもに合わせるか。プライベートレッスンとは異なり、永遠の課題である。

 

 教える側―教えられる側の論理は常に一体であるべきだ。

                               By 佐藤 繁信

カージナルズ来日

          カージナルス来日

 

 1968年(昭和43年)10月30日。当時中学2年生の私はカージナルス対巨人の試合観戦に宮城県営球場に行った。内外野共にほぼ満員、そんな光景など見たことがなかった私は興奮と熱気に圧倒された。

 この年、カージナルスワールドシリーズ最終第7戦で敗れはしたが、ほぼ休みなしでメンバー全員が来日した。対する巨人は1965年から4連覇中で当時は敵なしの日本最強軍団であった。

 カージナルスのエース、ボブ・ギブソン投手はこの年絶好調。12試合連続完投勝利を含め15連勝で22勝9敗、防御率は1.12でシーズンMVPに輝いている。

 この試合、なんと先発したのはそのギブソン投手であった。先発を知った球場は大興奮である。ゆっくりしたワインドアップモーションから投げ込まれる快速球、フィニッシュは一塁方向に大きく倒れ込む独特のフォームであった。このフォームを「フォールス・ダウン・スタイル」と表現していた記憶がある。今ネットなどで調べてもそのような記述は見当たらないが、私にとっては当時覚えた貴重な横文字だけにどうしてもここに記した。

 いよいよプレーボール。ギブソン投手の投じる一球一球にスタンドからは驚愕の声が挙がる。「オマハ超特急」(ネブラスカ州オマハ生まれ)といわれる快速球が心地よい音を立てキャッチャーミットに吸い込まれる。

 巨人の選手はやたらバットを短く持ち、当てるのに精一杯、ヒットになる様子は皆目見られなかった。その中で異彩を放ったのが王貞治選手であった。

 真っ向勝負を挑むギブソン投手に対しフルスイングで応じた唯一の選手であった。しかし、2球目あたりだろうか。快速球とフルスイングしたバットが微かに触れた。すると激しい摩擦が生じたのだろうか、白い煙がパッと上がった。球場に大きなどよめきが起こった。そして次の3球目、フルスイングした打球はバックネットを直撃した。そしてボールはそのままバックネットに突き刺さり、落ちてこない。衝撃的な場面であった。

 

 2020年10月2日、ボブ・ギブソン投手の訃報が届いた。84歳であった。

 悲しい知らせは、ギブソン投手が亡くなる一ヵ月前の9月6日にも届いていた。この時一緒に来日したルー・ブロック選手が81歳で亡くなっている。盗塁王に8度輝き、メジャー歴代2位の盗塁を記録したスーパースターである。この仙台の試合にも先発出場していた。ブロック選手の周囲だけがまるで映画のスクリーンを観ているように映ったことが忘れられない。

  私が目の当たりにしたメジャーリーガーのスーパースターが同時期に亡くなった。最も多感なこの時期に私が受けた衝撃を今の子供たちにも感じて欲しい。確かにTVやYouTubeによってメジャーリーグの試合を観る機会は格段に増えた。しかし、そこからはグランドの匂いや乾いたバットの音は聞こえてこない。華麗なあのメジャーリーガーの美しい立ち姿はそこにはない。二人のスーパースターとの邂逅に感謝し、ご冥福をお祈りする。

いいでんよ!

           いいでんよ!

 

 ブルペンの後方は4メートルほどの土手になっていた。その土手の上に会社帰りであろう熱心な高校野球ファンが数人見学している。その中に小柄ながら恰幅のいい、太い黒縁の大きめなメガネのオヤジさんがいた。ただ、ファンにしては鋭い眼光が異彩を放っていた。

 オヤジさんは高校野球の指導者として甲子園まであと一歩のチームを育て上げた。しかし、大会直前、ある事件に巻き込まれ、責任をとってチームを去った。そんな噂を少しだけ耳にした記憶がある。当時、オヤジさんは飲食店を経営し、仕入れの帰りに土手に立ち寄り、静かに応援していた。

 ストレート、変化球をアウトローにきっちり投げ込めば抑えることができる。それを信じ、一心不乱に投げ込んでいた。とその時「いいでんよ!いいでんよ!そのアウトコース打てんでん(・・)よ(・)」

 グランドに散らばった部員のムダで意味のない大声に周囲の言葉はかき消されたものの、オヤジさんの声だけはなぜか優しく耳に飛び込んでくる。

「いいでんよ〜!」

いつの頃からかオヤジさんは土手から降り、私のすぐ後ろで囁くようになった。

    「いいでんよ〜!!」

 どんなに疲れていても、多少の雨だろうが、その落ち着いた腹の底から発する低い声に励まされる毎日が続いた。

 余談であるが、ボールを受けながら聞いていたキャッチャーは「大したボールじゃないのになんでそんなに褒めんのかなぁ〜?」と訝しげな表情を浮かべていた。

 

 今までの人生の中でどんな時が嬉しかっただろうか。どんな時にやる気を起こしただろうか。それはやはり誉められた時であり、前向きな言葉をかけられた時である。人は誉められれば、半ば冗談と分かっていてもなぜか悪い気はしない。

 「子どもが伸びる声かけ」(辻秀一著)によると、人間の心の状態にはフローとノンフローがあるという。ご機嫌=フロー状態とは気分がよく、楽しく、充実感を得られている状態をいう。不機嫌=ノンフローとは落ち込んだり、イライラしたり、心が乱れている状態をいう。心の状態は声かけや出来事などによってフロー状態かノンフロー状態かに振り分けられるという。

 私は正にフロー状態で練習を続けていたのである。これはどんなに激しいトレーニングよりもパフォーマンスの向上に欠かせない重要な要素である。

今、指導にあたりこのことを忘れてはいけない。子ども達の体調はどうか。肩肘は痛くないか。心はノンフロー状態になっていないか。もしノンフロー状態を感じたらどんな声かけをしたらいいのだろうか。

 私は、練習開始前に指導陣を集めてこう話しかける。「我々がフロー状態じゃないと選手の心はフロー状態にならない。その結果、上達しないし、ケガをさせてしまうことになる」

 オヤジさんとは4代目ミスタータイガース掛布雅之氏(現HANSHIN  LEGEND  TELLER)の父泰治氏である。自らが手の届くところにあった甲子園の夢を息子雅之に賭けた執念があの言葉に凝縮されていたことを、その時私は知らなかった。

                   

                      24/Oct./2020   By 佐藤 繁信

対等な関係

     対等な関係

 

 庄内ボーイズのチーム方針の一つに「指導者と選手の関係は対等」がある。選手がいて初めて指導者が必要とされるのであって、指導者がいるから選手が必要にはならない。従って選手と指導者は対等な関係でなければならないという考えからである。とはいうものの、選手と指導者が対等とは一体どのようなものかを具体的に理解していない。ただこれからの指導はそうあるべきというなぜか確信だけはある。

 「空に向かってかっ飛ばせ!」(現タンパベイ・レイズ筒香嘉智著)にこんな一文がある。ファームでは「自分のポイントに引きつけて強く振れ」とコーチから言われた。しかし、1軍に上がると「もっと前で打て、前で!」そして「できないのならファームに落とすぞ」と。

 最近のネットには某球団のコーチの言葉として、不甲斐ない投手に対し「プライベートから鍛え直す」との見出しが躍っていた。

 自立し、成熟した大人への言葉とはとても思えない。しかし、プロ野球の世界で選手とコーチの間でこのような言葉が飛び交っている。当然アマチュアの指導者が、これが選手と指導者の関係だと信じることは至極当然である。

 「なんで三振するんだ!」「そんなこともできないのか!」選手に対し罵詈雑言を並べることはいとも簡単である。しかし、それは選手を委縮させることはあっても成長させることはできない。そこには反発しか生まれない。自分の指導力不足を選手のせいにしてはいけない。この選手にはどのような技術指導が必要か考えること。前向きな言葉をかけてやることこそ指導者の役割ではないか。

 選手は指導者のいうことを聞かせるための対象ではない。指導者の沽券にかかわるなどと考えてはいないか。「はい、はい」と従順な選手が素直でいい選手と勘違いしてはいないか。

 選手と指導者の「対等な関係」の実現は、自主性を尊重されない教育、自己主張の苦手な日本人にはこれは実に難解である。しかし謬見は正す時期にある。  

 私はグランドに行くと選手より先に「おはよう」と挨拶するように心がけるようになった。するとどうだろうか。今まで私の姿を見ても誰かが挨拶するまで横目で見ていた選手達が、誰かれなく大きな声で挨拶してくれるようになった。初めての感覚である。心がパッと明るくなるのを感じた。

 対等な関係への道のりはまだまだ遠い。今一歩を踏み出したばかりのような気がする。

 選手の言葉を引き出せる指導者でありたいと願う日々である。

                        

                           By 佐藤 繁信

アンパンミットに思う

      アンパンミットに思う

 

 「両手で捕れ!」という罵声がグランドの主役の座を奪われたのはいつ頃だろうか。いや、どこかのグランドでは今も君臨しているかもしれない。

 話は変わるが、今年の箱根駅伝やマラソン界は“ナイキの厚底靴”が席巻していた。その着用率は80%を超えるという。薄くて、軽くて丈夫なのが走りやすいと思うのだが、靴底のミッドソールにカーボンプレートが組み込まれ反発を利用すると聞けば、なるほど直線をひた走るにはいい感じだろう。

  2008年北京オリンピックの頃、競泳界はスピード社が開発した水着「レーザーレーサー」を着た選手が次々と驚異的な世界記録を生み出した。(その後禁止される)

記録向上の裏には人間の肉体の進歩や医科学的分析そして用具の進化は欠かせない。

 さて、野球用具の進歩とは何だろう。飛ぶボールだろうか?遠くに飛ばす金属バットだろうか?何か違う気がする。これらは選手の危険を顧みない商業主義に過ぎず、野球技術の向上には全く寄与していない。高校生の国際大会での打撃低迷がその弊害の大きさを物語っている。

グラブはどうだろう。イチロー選手らのグラブを手掛けたミズノのグラブ名人坪田信義氏から作っていただいた「アンパンミット」が手元にある。じっくり眺めると昔の選手の捕球動作を連想することができる。要は土手部分に切れ込みがなく、片手では捕球できないのである。

今の選手に「昔の選手はこうしたミットを使ってたんだよ」とアンパンミットでキャッチボールをさせてみると捕球にとても苦労している。その姿はまるで野球の初心者である。そして捕球するにはどうしても「両手」を必要とすることに気がつく。

 グラブの進化は片手捕りを可能にし、守備範囲を向上させる役割を果たしたことになる。手と全く同じような感覚のグラブ作りは世界にも誇れる日本の熟練の技そのものである。

 ではグラブの進化と共に日本の捕球技術も変わったのだろうか?バックハンド、バックハンドトス、グラブトスなどその使い方は多岐にわたると思われる。

 2019年11月7日付け日刊スポーツ「阿部慎之助がいた風景③探求心」にこんな記事がある。「日本ではゴロは『正面に入って捕れ』と教えられる。プロになってそれが正解なのかと思うことは多々ある。グラブさばきは圧倒的に外国人の方がうまい」

 グラブを買うお金さえない南米の子ども達の方がグラブさばきはうまいという。どういうことか?私達は正しい指導をしていないのではないか?世界一のグラブを持つ日本の子ども達は技術でも世界一のプレーヤーであって欲しい。                

                               By  佐藤 繁信