村上豊氏を偲ぶ
―「科学する野球」著者―
「科学する野球」の著者村上豊氏をご存知だろか。
初めて出会ったのは1987年11月23日創設間もない花咲徳栄高校(埼玉県)のグランドであった。私はこの時、村上氏への知識はほとんどなく、今までと違う野球理論を提唱する変わった人物という噂程度であった。
ところが実際にお会いし、話を聞くと全く違う世界へと引き込まれる自分がいた。
指導者としての壁を感じていた私は、1994年5月、高校生への指導を依頼した。
指導はグランドではなく、教室での座学から始まった。
「大体、監督をやっておられる先生は私の話なんか聞こうともしないで、自分でやってこられた経験と知識だけで、物理に反したことを平気で教える人が随分多い」
そんな辛らつな言葉から講義は始まった。
当時の私の感想である。
―ほとばしる情熱と卓越した野球理論、それは私の野球指導者としての常識をはるかに超えたものであった。野球指導書、プロ野球選手による野球教室、専門家による野球講習会、残念ながらいずれも私を満足させるものではなかった。むしろ参加すればするほど、疑問と矛盾だけが沸き上がってくるのであった。
その多くの疑問のカギを開けてくれたのが村上氏であった。
今思えば1988年の大リーグ・スプリングキャンプ巡り(米・フロリダ州)から私の日本野球への疑問は始まった。こうした行動が村上氏と邂逅するきっかけになったことを幸運に思うー
講義の内容の一部を羅列する
- 回転と捻り
- 野球動作の基本は捻って捻り戻して捻る
- ウエイトトレーニングはヒマ人のやること ●伸筋と屈筋
- 上半身と下半身のケンカ
- 慣性モーメント
- 日本人の「入」と大リーグの「人」の違い
- 現代野球の元祖ベーブ・ルース「なぜあんなに飛ぶのだろう?」
- ステップについてー打つためにステップする選手はヘタクソ
等々
「科学する野球」全8篇を読破しても、内容を理解することは至難の業である。この時の講演はそれらを集約した高校生にも理解しやすい内容であった。
この講演の1年後1995年7月、村上氏は77歳でこの世を去ることになる。
その後村上氏の野球理論は今日まで正しく評価されることなく月日が流れていく。
1995年は野茂英雄投手がある意味日本球界に背を向けてアメリカに渡った年でもある。野茂投手やイチロー選手の体の使い方を「正しい」と理論的に評価、説明できた人は当時村上氏を置いて他にはいなかった。
私の手元にこの時の講演記録や東京・三田のご自宅から頂いた遺稿がある。後世へ残すべきと考えている。
2021.6.19 By佐藤 繁信