北 朝鮮サッカーに学ぶ
10月1日から中国・杭州で開かれているアジア大会・男子サッカー準々決勝で日本は2-1で北朝鮮から勝利を収めた。
この試合は北朝鮮選手のラフプレー、マナーの悪さが国際社会からも指摘された。通常のサッカーではありえない危険なタックルは素人目に見てもスポーツの度を越していた。また給水で飲料水を要求し、威嚇する姿は確かに目に余るものがあった。
翌日の新聞各社、日本だけでなく世界中が北朝鮮の試合ぶりを非難した。なぜ北朝鮮の選手があのような狼狽ぶりを働らかなければならなかったのか。
「なんて恐ろしい国だ!」それだけが独り歩きしている。
10月28日の天声人語に前日亡くなった中国前首相李克強氏の生前の歴史問題の発言が載っていた。「日本人が悪ではない。人類はなぜ、あんな残酷なことをしたのかという視点で考えるべきだ」
この記事を読んで前述の日本対北朝鮮の試合を思い出した。選手を責めることはできるのだろうか?視点を変えて考えたい。
北朝鮮は5年ぶりの国際試合への参加であった。にもかかわらず日本サッカーとなぜ互角に戦えたのか。サッカーの専門家によると個人の筋力・技量は北朝鮮が上回っていたという。彼らのメンタルやトレーニングはどのように形成されているのか興味は尽きない。
今スポーツ界はアメリカなどを中心に結果を求める重圧から選手たちを解放しようという考えが広まりつつある。そんな時代に北朝鮮の選手は決して負けることが許されない「結果」を求められている。
負けを許されない教育、処罰か報酬か。日本人の過去の残虐な行為をたたきこまれた反日感情。北朝鮮のサッカーチーム、個人を非難するのはあまりにも安易ではないか。深層心理を正しく理解しての非難でありたい。
今更ながら「教育とは何か」その大切さを思う。
2023.11.26
By佐藤繁信